尖石石器時代遺跡
とがりいしせっきじだいいせき
概要
八ヶ嶽ノ西山麓海抜約一,〇〇〇米ノ丘陵上ニアリ 廣汎ナル地域ニ亙リテ石鏃、石斧、石錐、石匙、石皿等ノ石器竝ニ縄紋土器及土偶、滑車形土製耳飾等ノ土製品等出土ス 本遺蹟ニハ住居阯存在シ從來調査セラレシモノ約三十餘基ヲ数フ是等ノ多クハ徑約十三尺乃至二十尺ノ圓形又ハ隅丸ノ方形ノ竪穴ヲナシ表土下約二尺乃至三尺ニ床アリ 其ノ中央ニ扁平石ノ組合セニ依ル方形又ハ略ゝ■圓形ノ爐阯ヲ存シ周圍ニ柱阯アリ高原地ニ於ケル石器時代ノ聚落地ヲ示スモノトシテ著名ナリ
尚区域内ニ古クヨリ尖石ト称セラレ信仰ノ對象トナレル三角錐状ノ巨石アリ 此ノ地一帶ニ於ケル尖石ノ地名モ之ニ由来セリ
八ヶ嶽の西山麓、海抜1,000米の丘陵上にあり、広汎な地域にわたって石鏃・石斧・石錐・石匙・石皿等の石器、並に縄文土器、及び土偶・滑車形土製耳飾等の土製品等を出土している。この地域には多数の住居跡が存在し、從来約三十余基が調査されている。是等の多くは、経約十三尺乃至二十尺の円形、又は隅丸の方形をなし、表土下約二尺乃至三尺に床あり、その中央に扁平石の組合せによる方形、又はほぼ円形の炉跡を存し、柱跡がある。高原地における石器時代の聚落地を示すものとして著名であり、学術上の価値が特に深い。