月江正印墨蹟 偈
げっこうしょういんぼくせき げ
概要
本幅の文言は、江月宗玩(1574〜1643、大徳寺百五十七世)の『墨蹟之写』寛永六年のところに出ている。仰山、すなわち江西省袁州宜春県にある甲刹太平興国禅寺に掛搭していた、玉泉周皓に与えられた道号偈である。号と諱の双方にかけて、七絶の形で進道勉励の意を述べている。至正8年(1348)の作。 玉泉は夢窓門下で、のち嵯峨野臨川寺に住した人。月江正印は楚石梵琦と並ぶ元末の巨匠で、虎巌浄伏の法を嗣ぎ、ついに寧波鄞県の阿育王寺(広利寺)の主となった。歿年は不詳であるが、至正10年(1350)にはなお84歳で生存していたことが知られる。当時のわが国よりの留学僧は、先ずこの師に参ずるといわれたほど著名であったので、遺墨は幸い数多く存するが、後世の偽作はもっと多い。書風は実弟清拙正澄のそれに似て、磨りためた墨を、禿筆につけて書いたような趣がある。しかしいわゆる笹っ葉がき(柳葉体)のひどい中峰明本や、破天荒な一休宗純に本物がないのと同じ意味で、この書癖の強すぎるものには注意を要する。やはり真跡は、温和のうちにいちまつの鋭峰を秘めるといえる。
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