旧名手宿本陣
きゅうなてじゅくほんじん
概要
S44-12-012旧名手宿本陣.txt: 本陣妹背家は、紀伊八庄司の一人で、畠山氏に属し、名手庄市場村に住したが、元和年間、徳川氏の紀州入国とともに地士となり、また本陣に指定され、寛永年間には、名手組19か村の大庄屋を命ぜられた。
名手宿は、大和街道の和歌山より7里半の位置にあり、記録によれば、本陣は火災の後、享保より宝暦年間にかけて再興された。東西約40メートル、南北80メートルの矩形の敷地周囲に築地塀をめぐらし、御成門・通用門・主屋・蔵などを構え、主屋は南面に玄関・式台、奥に店の間・取次の間・台所、さらに御殿にあたる上段の間・次の間などを配する。蔵は主屋の西に南北2つあり、それぞれ寛永年間の棟札があるから、あるいは正徳の火災に焼け残ったとも考えられる。
主屋の北に、築地の仕切塀をへだてて、2棟の役所がある。奉行組同心の詰所と物置で、妹背家が地士頭の扱いをうけていたので、同心が駐在したものといわれ、延享3年の墨書が発見された。
このように、本陣・役所の建物の来歴が明らかであり、また本陣・地士・大庄屋を兼ねた総体の構えをよく遺存しているのは貴重である。よって、この本陣の旧敷地を指定する。