願成就院跡
がんじょうじゅいんあと
概要
S47-5-102[[願成就院]がんじょうじゅいん]跡.txt: 伊豆半島の首頸部韮山の西端、狩野川沿いに孤丘をなす標高100メートルの[[守山]もりやま]の東麓は、『豆州志稿』など、近世以来、『吾妻鏡』に有名な、奥州征伐の成功を祈願して北条時政が創建した願成就院跡として知られている。現在、古い建物として残存するのは、寛政元年(1789)建立の茅葺きの本堂のみであるが、この寺には、運慶作の阿弥陀如来坐像(重文)、同じく運慶作の不動・多聞両立像があり、この不動・多聞の胎内から宝暦3年(1752)に取りだされた銘札(重文)には、この両像が文治2年(1186)運慶・時政により造られたとあり、『吾妻鏡』の記載とも一致する。この寺の北側が池跡であることはすでに実測調査ずみであるが、昭和45年の発掘調査により、『吾妻鏡』記載の南塔跡・南新御堂跡その他が確認され、出土品などともにらみあわせ、この地が北条時政・義時・泰時3代で完成した浄土系伽藍の願成就院跡であることが確定した。