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文久三年八月十九日未明七卿妙法院宸殿ヲ出テ将サニ長州ニ奔ラントスル図

ぶんきゅうさんねんはちがつじゅうくにちみめいしちきょうみょうほういんをいでてまさにちょうしゅうにはしらんとするず

概要

文久三年八月十九日未明七卿妙法院宸殿ヲ出テ将サニ長州ニ奔ラントスル図

ぶんきゅうさんねんはちがつじゅうくにちみめいしちきょうみょうほういんをいでてまさにちょうしゅうにはしらんとするず

日本画

絹本・巻子・着色

本紙縦40.0、横141.8(cm)

1巻

山口県萩市大字堀内355番地

萩博物館

尊攘派の7人の公卿が長州藩士らとともに京都から逃げ落ちる様子を描いた図。尊攘派は天皇の膝元の京都で勢力を強めたが、文久3年(1863)8月18日、突如京都から追放される。「八月十八日の政変」と称されるこの事件により、久坂玄瑞ら尊攘派とともに、彼らと提携した三条実美や沢宣嘉ら7名の公卿が長州へ逃れた。これを「七卿落ち」と呼ぶ。この背景には、尊攘派に対抗して公武合体を進めようとする薩摩・会津両藩の画策とともに、朝廷の秩序を乱した尊攘派に対する孝明天皇の強い反感もあったとされる。

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