米山寺経塚群
べいざんじきょうづかぐん
概要
字山寺村社日枝神社ノ裏山ニ在リ、略々圓形ニシテ高二尺五寸、徑約八尺アリ。明治十七年發掘シ頂上ヨリ約五尺ニシテ方約二尺五寸ノ組合石室ヲ發見シ内部ヨリ銅製經筒、鏡鑑■身等ヲ檢出セリ。
而シテ同時ニ其ノ地續中ヨリモ多數ノ遺品ヲ出セシガ中ニ承安元年米山寺施入在銘ノ經筒アリ。
共ニ昭和十一年九月國寳ニ指定セラレタリ。遺阯ハ略々原形ノ儘保存セラレ藤原末期ニ於ケル經塚ノ構造ヲ徴スルニ足レリ
S52-06-034[[米山寺]べいさんじ]経〓(*1)群.txt: 米山寺経塚は昭和12年9月3日史跡指定されている。須賀川市の市街地西北方にある丘陵上に所在し、明治17年に承安元年の記年銘のある経筒等を出土したことで著名である。
昭和51年、須賀川市教育委員会が経塚群の範囲確認を行い、1〜3号及び4〜10号までの経塚の測量と一部の発掘調査を実施し、土盛りや葺石の確認及び外容器と思われる須恵器片等を検出した。また、丘陵南斜面からは3か所の建物跡とみられる造成面を確認し、外周の溝や石垣も検出した。これらを含めて約1万平方メートルを追加指定し、併せて名称を米山寺経塚群として遺跡の保存を図るものである。