正保庄内絵図(庄内3郡絵図)
しょうほうしょうないえず
概要
この絵図は、正保元年(1644)12月に幕府が諸大名に対し、国絵図の提出を命じた時、庄内藩で作成した庄内最古の領内絵図である。村名と村高、街道・里道と一里塚・里程・舟渡し、山中の難所、山名、里山の種類と樹種、社寺・古城、港・海上の里程などの記載は、極彩色で詳細を極めている。海や木々の筆法から見て、藩の絵師の手になるものと推察される。正保庄内絵図としては、これまで享保元年(1716)の写、寛政3年(1791)の写が刊行、活用されてきたが、それらとくらべると加茂坂に1里塚が描かれていることや、丸岡村に「加藤肥後守居所」と記されていることなど、より詳細である。また、正保4年(1647)に文知された大山領、松山領の村々に付箋が付いていることから見て、これらの原図と考えられ、極めて貴重なものである。大泉紀年によると正保元年に事業が始まり翌2年に郷帳を提出、この時、絵図作成を担当したのが郡代渡辺新兵衛(300石)で正保3年に作業を完了、提出している。
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