近衛龍山詠薬師十二神法楽十首和歌 このえりゅうざんえいやくしじゅうにしんほうらくじっしゅわか

その他の美術  / 安土・桃山

  • 近衛龍山(近衛前久)
  • 安土桃山時代 / 1587
  • 楮紙3枚貼り継ぎ 一巻
  • 縦35.7㎝、横144.3㎝
  • 一巻
  • 群馬県指定
    指定年月日:20180216
  • 光泉寺
  • 有形文化財(美術工芸品)

本指定は、草津町の真言宗豊山派光泉寺に伝来したものである。近衛前久(龍山)は、公家の名門近衛家に天文5年(1536)に生まれ、関白、太政大臣を歴任した。上杉謙信と盟約を結んで永禄4年(1561)関東に下り、天正3年(1575)以降は織田信長と親交を深め、その意を受けて石山本願寺との講和に貢献した。天正10年(1582)、信長の死後落飾し龍山と号した。その後も豊臣秀吉とは、その関白就任にあたって自分の猶子とするなどの関係を取り結び、公家でありながら武家社会に身を投じた人物であった。また、和歌、連歌に優れ、書をよくし、有職故実、馬術、放鷹などにも精通し、当代一流の文化人であった。天正15年(1587)、湯治のため草津温泉を訪れ、その際に現在の光泉寺本堂にあった薬師堂において、本尊の薬師瑠璃光如来法楽のため和歌を詠み、奉納したものが今回の指定候補である和歌一巻である。
  近衛龍山と交流のあった京都吉田神道家の吉田兼見の日記『兼見卿記』に、天正15年3月30日に近衛龍山が草津湯治のため京を発ったことが記されており、史料的な裏付けが確認できる。今回、専門家による筆跡・紙材の鑑定の結果、真筆であることが判明している。

近衛龍山詠薬師十二神法楽十首和歌

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