融通念仏宗(大念仏宗)は、天台宗の僧侶良忍(一〇七三-一一三二)が永久五年(一一一七)に阿弥陀如来より自他融通の教えを感得したのに始まると伝える。良忍は天台声明中興の祖といわれた人物、念仏に節を付けて称える儀礼を創始し、声明の功徳をお互いに融通し、現世と来世の功徳を得て、往生を遂げるという教えを説いた。
良忍は、鳥羽上皇より勧進帳の序文として「敬白 貴賤男女を勧めて此の念仏の名帳に入奉りてともに彼国に往生せしめむと請勧進帳、南無阿弥陀仏」の宸翰を下賜せられたという。布教にあたっては、名帳に名前を記載することで、結縁の証とした。鎌倉時代後期になると良忍の事績と霊感の場面を描いた『融通念仏縁起絵巻』が作られ、勧進僧が持参し、諸人に説いて廻った。
本巻の体裁は巻子装、紺地表紙に鳳凰桐文の金泥下絵、金泥地の見返しに童子像が描かれ、八双に蓮花文透し彫りの金具を備えている。本文料紙には、下絵として四季草花の風景を金銀泥にて描き、さらに天地欄外と裏面に金箔銀野毛金銀砂子散霞引きを施すなど荘厳な意匠を加えている。巻末には阿弥陀聖衆来迎図(下品上生)と良忍と思しき僧侶が描かれている。本文は「融通念仏勧進帳」に始まり、「南無阿弥陀仏」の六字の称名を流布する旨が書かれている。
本巻は昭和二十四年に『後花園天皇宸翰並後崇光院御筆融通念仏勧進帳』として重要美術品に認定されている。勧進帳の既指定品には、大念仏寺(大阪市平野区)の『後小松天皇宸翰融通念仏勧進帳(金銀泥絵料紙)』一巻(昭和二十四年重文指定)がある。金銀泥による下絵料紙などは類似するが、大念仏寺本には来迎図は描かれていない。なお、禅林寺・大念仏寺には、勧進帳と共に室町時代の融通念仏縁起絵巻が伝わっている。筆跡に関して、認定名称は後花園天皇と後崇光院の両筆とする。巻頭の「南無阿弥陀佛」から「この國の神といはれし」までの第一紙目と勧進帳本文の筆跡は異なっている。旧箱上に墨書で「後花園天皇宸翰」とあることから、書写者を比定したものと思われる。
本巻は、文安四年(一四四七)の製作時が判明し、勧進帳で来迎図が描かれた最古の遺品の一つであり、金銀泥下絵の装飾料紙に後花園天皇宸翰と伝えられる筆跡で書かれた優品である。